2008年06月08日

思うこと。

最近、雷句先生の訴訟問題で、編集者と漫画家の問題が浮上していますが
新條もフリーになったいきさつで思うところがあって
普段はこういう話をブログでは絶対にしないようにと思っているのですが
一言、書こうと思います。(一言じゃないですが・・・むしろ長いです。)

やはり、編集者と漫画家は対等な立場でありたいと思っています。
気持ち的には、漫画家は編集者に対して「お仕事をもらっている」と思っていたいし、
編集者は漫画家に対して「漫画を描いてくれている」と思っていてもらいたい。
そんな気持ちでずっとお仕事をさせていただいていました。
どんなに忙しくても、「この雑誌に描いてほしい」と言われれば寝ないで描いていました。
「こういうものを描いてほしい」と言われれば、出来る範囲で描ける漫画を。
新條が漫画というお仕事でご飯を食べていけるようになったのは
育ててくれた編集者のおかげだし、掲載してくれる雑誌のおかげでもあるのです。
ただ、そんな状況が、
「描いてといえば、描く作家」「注文通りの漫画を描く作家」ととらえられたとき、
その関係は崩壊します。
半年間コンビニにも行けず、月産120ページをこなし、
睡眠時間の平均が3時間を割るような状況は当たり前ではないんです。
感謝しろとは言いません。
そういう気持ちは、言われて持つべきものではないと思うので。
そんな関係のひずみを感じると、それはストレスになってしまいます。
やりたいことを我慢する必要があるのか。
ネタもないのに身を削ってまで、新しい作品を発表しなきゃいけないのか。
ある時、
「こういう話はもう描きたくない。この連載は違う方向で描いて行きたい」
と相談したところ、
「だったら、この連載は終わり。次はこの雑誌に移って」
と編集長に言われ、
その場は担当編集者も含めてのお食事の席だったのですが
「じゃあ、後は担当と話して」
と編集長は帰ってしまいました。
「ああ・・・長年この雑誌のために仕事して来て、曲がりなりにも
すこしは貢献出来たと思えるだけの成果をあげてきたのに、
最後は感謝の言葉もなく、こんな形で終わるのか・・・」と
頭が真っ白になりました。
自分の13年間って、いったいなんだったんだろうと。
そして、次に移れと指定された雑誌は、
「それまで」の新條まゆと何ら変わらないものを求められる雑誌で・・・
こういう時に言葉を選んでいてもどうかと思うのではっきりいいますが
もう、Hな漫画は描きたくなかったのです。
それはその時思っていたことではなくて、
『快感フレーズ』を描き上げた後からずっと思っていたことでした。
が、一つの流れを作ってしまった自分が自分の首を絞めてしまったわけですが
当時はその流れに逆らうことが許されませんでした。
そして、今まで通りの新條まゆを求める雑誌には行きたくなかった。

悩んで、悩んで、小学館を離れる決心をしました。
それを担当に告げると、
「だったら、いままでの出版物を全部絶版にする!」と言うので、
驚いて、「脅すんですか?」と言ったところ
「脅してるのはそっちでしょ!!」と言われてしまいました。
この辺りから、弁護士に相談するようになりました。
作家一人と大企業。
どう丸め込まれても、どんなウワサを広げられても一人では太刀打ち出来ません。
おまけに「頭がおかしくなってる」と言われ、むりやり連載を1回休まされました。
わたしは猛烈に反対しました。
楽しみにしているファンに申し訳ないと。
しかし、結果、休むことに。
が、休ませた本人はなんと、雑誌に休む旨の予告を入れなかったのです。
結果、まるで原稿を落としたかのような扱いに・・・
それだけならいいです。が、私の漫画が見たくて買ったファンの子は
どうするのかと落ち込みました。
大人にとって200円ちょっとなんて、はしたお金かもしれませんが
子供たちにとっては大事なお金です。
それを無駄にさせてしまった子がいるかと思うと、本当に胸が痛くて。
あの時、もっと反抗して、休まなければよかったと悔やみました。
そんな時、当時、小学館に出入りしていたうちのスタッフが
ある話を耳にします。それは、編集部の一人が
「新條まゆが連載を休んだのは、休ませないと移籍すると脅したからだ」
と発言したものです。
週2回の少女雑誌は現在3誌ありますが、お休みがもらえないのは
小学館の雑誌のみです。不定期連載もさせてもらえません。
休みたいと思っているボロボロな作家はたくさんいます。
そこに、わたしが休んでしまった。
他の作家たちから不満が出てもおかしくはありません。
私が脅したといえば、他の作家たちも納得するのでしょう。
が、話はおかしな方向に行きます。
内部事情を暴露したと、うちのスタッフを出入り禁止にしてしまったのです。
うちのスタッフといっても、わたし専属ではなく、いろんなところで
デザインのお仕事を抱えている方だったのですが、
小学館はやめさせてしまいました。
おまけに、そのスタッフがわたしを洗脳してると言い出す始末。
自分たちが言って来たこと、やって来たことを顧みない行為に
私は完全に編集部への信頼を失ってしまい
移籍する決意を新たにしました。
ここへ来て、やっと新條が本気だと言うことがわかったらしく
慌てて大規模なお食事会がセッティングされ、お偉いさんも集まりました。
そこでそのときの自分の気持ちを正直に伝えました。
これからやって行きたいこと。描いてみたいお話。雑誌。
しかし、小学館の少女漫画雑誌の一番偉い方には
「甘ったれるんじゃない!」と言われてしまったのです。
やりたいことを伝えて何が悪いんでしょう。描きたいものも描けずに
求められるものだけ描いてればいいと言うことでしょうか。
漫画家は小学館の奴隷ではないのです。
実は小学館に専属契約というのは存在しません。
そのかわり、書類上の契約よりも強固な「暗黙の了解」という専属契約が存在します。
基本的に他社で描いてはいけないのです。
これは出版社にとって便利なもので、追い出したい作家は
一言で追い出せて、つなぎ止めておきたい作家は、どんな嘘やウワサや
丸め込みを使っても、つなぎ止めることが出来るわけです。
漫画家は世間知らずが多いです。社会人として働いた経験があるわたしでさえも
「他社で描くなら、今までの出版物はすべて絶版」と言われた時、
「じゃあ、ダメなのか・・・」と一度はあきらめました。
この時すでに、他社の編集部からいろんなお仕事の引き合いがあって
その方々が「そんなことは絶対にあり得ない!作品は作家のものであって
出版社がどうこうできるものじゃない!
そんなことを言う編集者が本当にいるのか?」と驚かれたので、
初めて「ああ、脅されてるのは自分なんだ」と気がつきました。
他社の編集者から驚かれたのはこれだけではありません。
小学館の編集者の態度、発言、作家に対しての扱い、あらゆることが
「信じられない」と言われました。
小学館で育った作家は、他社の扱いを知りません。
どんなにひどいことを言われても、それが当たり前だと思っています。
以前、集英社のネームが遅れてしまって、土日に担当さんの自宅に
ファックスを送ることになったんですが、わたしは頑なに
「月曜日に編集部に送ります!」と言いました。
担当さんは「自宅でも受け取りますよ〜」とおっしゃってくれたのですが
以前、小学館の担当に、
土日にネームのファックスを送った時に、激高して電話がかかって来て
「編集者が安い給料で仕事してるのは土日は何があっても休めるという
保証があるからだ!あんたたちは高い年収もらってるんだから
寝ないで仕事しようが遊ぶ時間がなかろうがかまわないけど、
こっちの休みまで奪うな!」と言われたことがあったからです。
また、現在わたしは、校了日までには何が何でも原稿を上げ、
余裕をもって作品を仕上げています。絵も納得がいくまで書き込んでいます。
それは以前、原稿がギリギリになってしまって、絵が乱れてしまった時、担当に
「水は低い方へ流れるって話、知ってる?わたしのように水瓶に
水をたくさん貯めてるような人間が、あんたみたいなダメな人間の近くにいると
こっちの水瓶が減るのよ!」なんてことを言われたからです。
ネームが土日にかかってしまうのは作家が悪いし、
原稿がギリギリになってしまうのも作家のせいです。
だから何を言われても、それは当然のことだと思っていました。
よくドラマで、編集者が漫画家の家に行って、
「お願いですから先生!原稿描いてください〜もう時間がありません」
なんて泣きながら言っているのをみて、アシさんと
「漫画家って、こんな偉そうじゃないよねぇ」とよく言ったものです。
が、他社の話を聞くに付け、ふと感じ始めたことがありました。
「小学館は作家に対して、『漫画を描いてもらってる』という意識に欠ける」と。
「仕事をさせてやってる」「売れさせてやってる」と思っている人間が多いということです。
もちろん、そんな人ばかりじゃないですが。

移籍しようと思ったきっかけとなった編集長の言動に対してもそうですが
あの時、一言だけでも「今までありがとう。この雑誌がどうしても
新條が欲しいと言ってるんで、これからはそっちをどうか助けてあげてほしい」
という言い方をされていたら、もっとがんばれたかもしれない。
「小学館を離れて、いままでとは違うものを描いたら売れなくなる」
「大人しく今まで通りの漫画を小学館で描いていればいいのに」
などとも散々言われましたが
もうここに至ってはお金ではないのです。
最初からすべてうまくいくなんて思っていませんし
再スタートと思ってがんばってみることにしました。
精神的につらくて、体もボロボロになって大金を稼ぐより
信頼出来る担当と、気持ちのいいお仕事をして、心底楽しめる漫画で
1円でもお金が入ってくればそれでいいと思いました。
漫画家になって今が一番充実しているし、幸せです。
これが、新條が小学館から出た経緯です。
とても短くまとめてみましたが、それでもこんな長文になってしまいました。

雷句先生のブログを拝見しましたが、言いたいことは非常にわかります。
同じ作家として、行間に隠された憤りや悔しさを感じ取ることが出来ました。
ただ、私同様、あれがすべてじゃないはずです。
新條も、上で書いたことがすべてではありません。
もっといろんなことが書ききれないほどありました。
これは新條の勝手な憶測ですが、原稿を失くされても、
その賠償金が低くても、誠意ある態度を感じれば、
あんな風にことを大きくなさらなかったのではないでしょうか。
例えば、長年一緒に仕事してきて、誰よりも信頼している方が原稿をなくしたとします。
その方は、自分に出来る精一杯の誠意ある態度で謝罪したのですが、
小学館の規定で、補償額は低く・・・
そんな場合、提訴なさったでしょうか。
保証金の低さが、誠意の低さに現れていると感じ取られたからではないでしょうか。
新條も以前、なくされたことがあります。
やはり、補償として原稿料しかいただきませんでしたが、
編集者が菓子おりを持って謝りに来てくれました。
原稿は戻っては来ませんがカラーもモノクロも版下というものが必ず残っているので、
新たに出版する時に描き直すことまでしなくていいのです。
その時は、編集者の誠意を感じて、こちらが「そんなわざわざ・・・」と思ったものです。
一度信頼関係を失うと、何を言われても信じられなくなります。
編集者は作家とそりが合わなくても、毎月多額のお給料が入ってきますが
漫画家は言ってしまえば担当編集がすべてなのです。
モチベーションを下げられ、話をねじ曲げられ、精神的に追いつめられて
絵も話もボロボロになってしまったとしても
すべて漫画家の責任になってしまうのです。
それはすぐに生活にかかってきてしまいます。
もちろん、漫画家が気持ちよく仕事をするために、
なんでもハイハイと言うことを聞いていろという話ではありません。

例えば、新條を育ててくれた口の悪い編集者がいるのですが
新條が新人の頃その人に、ネームを床にばらまかれ、
「こんな漫画じゃ商売にならないんだよ!」
と足で踏みつぶされました。
「お前はウジ虫みたいな漫画家なんだから、
ウジ虫はウジ虫なりにない知恵しぼって漫画描け!」
とも言われました。
「お前はどう努力しても連載作家にはなれない」
と言われて、なんの才能もないけれど、努力だけは自信があった、
でもその努力すらダメなのかと絶望して、泣いたこともありました。
でも、誰よりも新條の漫画をかってくれて、時には編集長とケンカをし
時には出世払いしろとおいしいお店に連れて行ってくれたりもしました。
なので、そんな罵倒もダメ出しも当時はなにくそ!とがんばれたし
また、その言葉の一つ一つに作家への愛情を感じとることも出来ました。
それは強固な信頼につながりました。
今ではそれらのエピソードは笑い話のネタにもなっているくらいです。
それらはすべて信頼関係があってこそ。

これはわたしも経験したことですが、
まわりの漫画家からはとても評判が悪く、問題編集者として有名だった人は
長年一緒に快感フレーズを作ってきた、わたしにとってはとても信頼出来る担当でした。
また逆に、ヒットメーカーと呼ばれ、いろんな漫画家さんから担当してもらいたいと
思われている編集者がいましたが、わたしにとっては、「漫画家をやめたい」とまで
思わせるくらいの罵倒とトラウマになるような誹謗中傷を繰り返す酷い担当でした。
また、ひどい漫画家もいます。あえて例は出しませんが
多大な迷惑をかけたり、担当を精神的に追いつめてみたり・・・
つまり、編集者にも作家にもいろんな人間がいて、
いろんな考えがあって、合う、合わないというのがあるということです。
それは、編集者と漫画家の関係に限りません。
ただ、信頼関係を築かないうちに、頭ごなしに言うことを聞かせようとしても
それは無理です。
人間は言葉と言うコミュニケーションツールがあります。
そしてそれ以上に、もっと高度な言葉を超えたツールも持っているものです。
相手の表情を読んだり、ちょっとした言葉の抑揚で、気持ちの変化を察したり。
だから、同じ言葉を発しても、「自分のために怒ってくれてる」というのと
「見下されてる」という感情が生まれるわけです。
それらを駆使して、相手に合わせるということが出来るのです。
相手に合わせるという行為を省いてしまっては、
コミュニケーションもなにも、あったものじゃないです。
そのためにはまず、何回も会って、話すことです。
今はメールというものが使われるようになり、
相手の気持ちを推し量るのが困難になってきました。
もっと会って、話して、時には飲んで、どんな人で、どんな考え方かというのを
把握することから始めないといけないのではないかと思っています。
そして、お互いの気持ちに根底は必ず
「お仕事をもらってる」という感謝の気持ちと
「お仕事をしてくれている」という感謝の気持ちがないとダメなんです。

ブログを立ち上げて雷句先生を非難されている橋口先生も
雷句先生の陳述書だけを見て声を荒げずに
お二人で会ってお互いの考えを話してみることから初めてみてはいかがでしょう。
わたしは、橋口先生がおっしゃっていることも理解出来ます。
自分が信頼している担当を名指しで非難されたという文面だけ見てしまえば
お怒りになるのも当然でしょう。
しかし、担当編集が合う合わないは別にしても
原稿をなくすと言う行為自体は許されるべきことではありませんから。

そして最後に一言。
これは心底、驚いて、我が目を疑い、何度も金額を確かめたのですが
あれだけのすばらしい作品を生み出した雷句先生の原稿料が
ありえないくらい安いです!!!!!これ、どういうことですか?
新條の場合は、6年前から上がるのをストップしてもらっています。
そういう方、結構いらっしゃいます。
原稿料が高いと後々使いづらい作家になるからです。
ちなみにほっとくと1年に一回、1000円ずつ上がります。
そんな新條の原稿料よりも遥かに安いってどう考えてもおかしいです!
確か、あの雑誌には1ページ10万とかの作家さんがたくさんいらっしゃるはず。
でも、連載作家は正直、原稿料が高いか安いかなんて、さほど気にしません。
アシ代でなくなってしまうものなので。
が・・・雷句先生ほどの方が・・・・これはあんまりです。
むしろ、このポイントだけでも、怒って当然です。

今回の文章を書くことに正直ものすごく悩みました。
ですが、小学館を出た人間じゃないと言えないと思い、書いてみました。
今、連載を抱えている作家たちは、どんなに憤っていても
ひどい目にあっていたとしても、声に出すことは出来ません。
作家vs出版社の全面戦争を始めようと言うわけでは決してありません。
ただ、問題のある作家には「お仕事をもらっている」という意識を持ってもらいたいし、
問題のある編集者には「お仕事をしてもらっている」という意識を持ってほしいと思ったのです。
その上でのちょっときついアドバイスも暴言も「愛情と信頼」あってこそだと
思うことが出来ると思うのです。
その意識が、小学館という出版社には圧倒的に欠けている人間が
多いというだけのことなのです。
この一件で、今いる新人作家や、後輩作家たちが
少しでも気持ちよく、お仕事ができる状況になるよう、祈るばかりです。
現に、私に対して、誹謗中傷、暴言の数々を繰り返した編集者によって
精神的に追いつめられて、漫画が描けなくなり
声を上げることなく消えて行った、前途有望な新人をいくらでも見ています。
こんなことがあってはいけないのです。
もう、新條まゆという作家は第一線を退いているという認識があります。
だとしたら、衰退する漫画業界を背負って立つ若い方々に
100%の仕事ができるよう、力になることがあればしてあげたいと思っています。
もちろん新條まゆ自身もこれから先、自分のペースでやりたいお仕事を
楽しく続けて行くことに変わりありません。

また、これを見てしまったファンの皆様、
お見苦しい一面をさらしてしまい、大変申し訳ありません。
以後、このような発言は控え、また、楽しいブログ、おもしろい情報を
提供して行きたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。

                    新條まゆ

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